劣等感の手放し方

今日、衛藤さんという 非常に魅力的な方のセミナーに行きました。

カウンセラーの方ですが、体験セミナーの後は 「いい映画」 を見たような

すがすがしい感覚。それを 体感できたのは、彼の話の伝え方、表情にあ

るなと思いました。なるほど、口コミだけで170人が集まるだけある!と実感できた

セミナーでした。 2、500円というリーズナブルさも魅力でした。

そして、隣に座っていらした清水さんと仲良くさせて頂き、一緒に昼食をとることができました。今日のセミナーで1番嬉しいことです 申し込みも昨日、考えていることも、感じ方も

すべて共感できる方でした。キリリとして、頭が切れる魅力的な方です。

運命的な出会いだと奥山は「 ビビビビ 」 と直感しました。清水さんの座右の銘は

                「 すべては出会い 」 ステキです。

(セミナーにご興味のある方は、www.mental.co.jp をご覧下さいね)

○  セミナーの中で共感したのは 「劣等感について」 ○ 

今、現在 劣等感を抱えている人は 「他の人の価値を引き下げてしまう」といいます。

それは具体的には、妬みや嫉みとして現れます。

持つ人と持たない人の見分け方は簡単で、その人の前で人や物を褒めることだといいます。

ほめる人  「 あの人ってすごいよね~ あんな風になりたいな~ すごいな~ 」

劣等感人  「 ま、調子に乗りすぎないことが 課題だね 」 評論家タイプ

        「 一生分の運を使いはたしちゃったりして 」  預言者タイプ

こんな風です。褒めてくれる人には 「 今日さ~ラッキーだったんだよ! あのね・・ 」

と話したくなります。なので、いい情報が集まりやすいものだそうです。衛藤さんのお話

を聞いて私も劣等感について考えてみました。以下は私が劣等感の手放し方について

考えてみたものです。ご興味があれば、ご一読下さいませ。。。。。。。。。。

              <劣等感の手放し方>

奥山美奈の場合~

人の成功を「あんな風になりたいな~」とも思っている人は、マネができる

マネをするから、いつかは「あんな風」にもなれてしまう。いわゆるモデリングというもの

です。このあたりから、人生の別れ道ができるのでしょうか。

人間は 本当に幸せになりたければ、「 ほめる人になればよい 」のですが、劣等感が顔を出すとそうできません。

まれに常時、人の事を悪く言っている方もいらっしゃいますが、その方自身 今の自分の生き方に満足できない状態であるのかもしれません。

「理想の状態」 からかけ離れた自分を許せない時、目の前にいかにも幸せそうな顔をした人が現れると 自分が否定されているような気持ちになることもあります。

その人にケチをつけておけば 今の自分は 「 否定した相手 」 よりも上の位置

にいられるため こころは安定を保てます。これが妬みや嫉みという引き下げの心理です。

悪いことに 引き下げを受けた人は その方法を学んでしまうために自分より弱い立場の人を引き下げてしまいます。

お母さんに叱られたお兄ちゃんが妹をいじめる、会社で怒鳴られた夫が家族にあたるなどで 誰かの上であることを確認して安定しようとしてしまいます。

みなさんの周りに当番でもないのに、ごみの分別に必要以上こだわり、人の家のごみを丁寧にひとつひとつ点検しないと気がすまない人はいないでしょうか。

ごみの分別自体は非常に大切なことであり、ありがたい行為ではありますが、点検している人の衛生的な問題を考えれば身体の事が心配です。何事も行き過ぎはよくありません。

社会の中でも、必要以上に道徳を強要するモラルハラスメントや権力を振るうパワーハラスメントなども、人の上に立っていることの確認であることが多いようです。

では劣等感を持つ人とはいったい、どんな人なのでしょうか。

それは「 目標 」 を持った人です。

今日より明日をよくしよう 」 という気持ちは誰しもが持っています。

生きている以上、基本的に人は目標があるということです。つまり、劣等感は万人が持っているものなのです。

目標ができると現状との間にギャップができ、それを努力で埋めていく過程で「 こころ 」にプレッシャーが加わります。

更に私は 劣等感は優秀な方ほど高いとも感じています。私が教員の頃、成績優秀な学

生ほど1点、2点にこだわること、少し順位が下っただけでも自分を責め、不眠や体調不良を訴えるという事が多くありました。

もともと優秀なのですから、次のテストで挽回すればよいようなものですが、まるで点数が自分の何かを支えているかのような学生をたくさん見てきました。

優秀な方は設定の目標自体が高い分、目標と現状のギャップも厳しくなり今の自分への満足度も低いものだと、私はこれまでの学生や他の優秀な方々を見ていて思います。

では、劣等感をどう手放したらいいのでしょうか。

私がしているのは以下の2つです。

1つ目は、目標自体をもう少し、ゆるやかにすること。(自分に余裕をもてる程度にする)

2つ目は、今の自分を許すこと です。

 1つめ 目標設定をゆるやかにすること

学生を見ていても、主席を守り通す人は目標に執着しすぎるきらいがありますが、

学年で10番以内くらいの人は余裕があり、勉強を楽しんでいるような感じがします。

現代のように不景気になれば、少し順位がよくていい大学、いい会社に入ることができたとしても、会社自体が倒産してしまうことだってあります。

人生は外的な条件で左右される面もあるため、あまり1番、2番にこだわり、余裕をなくしてはもったいないというものです。

自分として 1割強の自分を目指していくような目標にし、人生を楽しみながら進むという方法もあるということです。

 2つめ 今の自分を許すこと

今を受け入れるとは、簡単なようで難しいことです。私は自分の劣等感に悩む時は自分の赤ちゃんからこれまでの歩みを思い出してみるようにしています。

赤ちゃんの頃と今の自分を比べてみれば、この差は歴然ですし、そこまでさかのぼらなくても 1年~3年前までの自分と比べてみても 「 ああ、中々がんばったなぁ 」と思うことがあるのではないでしょうか。

今は時代の流れが速いですから、「 5年ひとむかし 」とも言われます。さすがに5年もさかのぼってみると、自分もまんざらではないなという気持ちが出てこないでしょうか。

ゆっくりではあるが確実に自分も進歩してきたんだな。」という風に考えると、歩みの遅い「  」 を受け入れる余裕が出てきます。

「 未来のなりたい自分 」 もいいですが、過去の自分と今を比べてみるという方法も大切であると思います。

自信は 「 未来ではなく、過去にある 」 からです 

なにより、過去を振り返っている途中で 大勢の方々から守られ、愛情を注がれてきた事実を思い出し、「 感謝があふれる 」 という付録もつきます。

もしかすると、5年前に立てた目標通りの人生になっている方より、思わぬ方向に運命が展開したと言う方が多いかもしれません。

私自身もそうですが、5年前に立てた目標はかなわなかったものもありますが、結果的にはとても幸せな「 今 」 をすごしています。

未来は必ずしも、目標通りに行かないこともある、けれどもそれはそれで楽しいものかもしれないと思えれば、劣等感が緩和され人生をもっと楽に生きられるのかもしれません。

~ ご一読 本当に ありがとうございます。。。。。   奥山 美奈 ~

 

 

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アサーションノ薦め

アサーティブな自己表現をしよう

自己主張の3つの種類

自己主張には強弱の程度があり、区別されているということをみなさんは知っているでしょう
か?ノンアサーティブ(非主張的自己表現)、アサーティブ、アグレッシブ(攻撃的な自己表現)の3つの
区別です。私は、現在看護学校に勤めており、未来のナースの卵を育てる時、この3つの自己主張パ
ターンを伝え、アサーティブを目指すよう指示しています。

看護師は信頼関係を結ぶ事から仕事が始ま
ります。患者さまに対してはもちろんのことですが、周囲のスタッフとの人間関係を良好に保ち、チーム
ワークよく仕事をするためにも、アサーティブな自己表現ができることは重要になってきます。


1 ノンアサーティブ(非主張的自己表現)
自分の気持ちや、考え、信念を表現せず、自己の言論の自由(基本的人権)を無視した態度。
不安で自信がなくおどおどしているので、一見、おとなしく、相手を尊重した態度と見えますが、自己主張しないため、相手には気持ちが伝わるはずがないのに「人の気持ちも知らないで」や「譲ってあげたのに」などと恨んだり、恩着せがましくなりがちです。

「相手を立ててあげたのに解ってくれない」といった甘えや、「思いやりのない人だ」とか、「鈍感な人だ」といった相手への軽蔑の気持ちを持ったりします。我慢や恨みが積み重なると、欲求不満が募り、人と付き合うのが億劫になったり、頭痛、肩こり、胃痛などの心身症やうつ症状がでたりすることもあります。

また、弱い立場の人には不当に八つ当たりをしたり、いじめたりといったことも見られ、我慢の限界が来た時には、その場にふさわしくない位の激怒やキレル態度となることもあります。深層には表現して嫌な思いをしたなどのトラウマがあることもあり、表現しないことで傷つかない、劣等感やあきらめの気持ちをもたなくてよいということでもあります。

2 アサーティブな自己表現 
自分も他人も大切にした自己表現。自分の言論の自由を守るために立ち上がりますが、相手の言論の自由も尊重しようとする態度。アサーティブな発言では自分の気持ち、考え、信念などが正直にその場にふさわしい方法で表現され、相手も表現するよう推奨します。

その結果、相手と自分の意見の葛藤が見られることもありますが、譲ったり、譲られたりしながら納得のいく結論をだせるともいえます。譲った場合も自分の意見を表現しているので相手は譲ってもらったという意識があるため、相手に対して尊敬の念さえ覚えます。

自分もすがすがしく、相手にもさわやかな印象を与えます。意見を出し合い話し合うため、時間はかかりますが、お互いに一緒に何かを決定したという達成感を味わうことができ人間関係は深まります。相手の価値観や信念も分かりあうため、深いラポールができることもあります。自己肯定、他者肯定の意識のある人がアサーティブな自己表現ができます。


アイ(I)メッセージ(私メッセージ)で伝える

3 アグレッシブ(攻撃的な自己表現)
自分の意見や考えを気持ちをはっきりということ。相手の気持ちを害したり、相手を見下したり、
支配したりしがち。相手の気持ちを無視、軽視したり、結果的に相手に自分の考えを押し付ける
ことになります

一見表情豊かで、ハキハキしているが、その場の主導権を握り、相手より優位に立とうとします。
攻撃的とは単に暴力大声で怒鳴ったりするだけでなく、相手の気持ちや欲求を無視して自分勝手な言動を取ったり、相手を操作して思い通りに動かしたりすることを言います。

勝ち負けで物事を決めようとしたり、不当な非難、侮辱、皮肉、八つ当たり、駄目押し、一言多い発言、などもふくまれます。「自分が一番、あなたは駄目」など
といった態度や言動としてあらわれます。YOUメッセージ(あなたメッセージ)が多い

アサーティブに必要なこと・・・・アイ(I)メッセージ(私メッセージ)で伝えること
「私はこう思う」「私はこうしたい」
                      アイ(I)メッセージでは個人的な意見という言い方になるため受け取りやすい。
アグレッシブな表現    ・・・・YOUメッセージ(あなたメッセージ)
                                 「あなたは駄目」「あなたはできてない」
                   個人の意見でも拡大され大勢で言っているように聞こえるため、相手は傷つきや                   すい。

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プチ思想 ~愛の発展4段階説~

プチ思想 ~ 愛の発展4段階説 ~

愛の発展4段階説という思想がある。私は常にこの思想を意識して子育てや生徒指導をしている。愛には段階があり、

第1段階は愛する愛

第2段階は生かす愛

第3段階は許す愛

第4段階は存在の愛というもの。

愛する愛はただ、いるだけでいいという段階、子供や隣人を慈しむことやペットなどを可愛がる気持ちと似ていて、とにかく「すき、すき大好き~」といった段階。

次は生かす愛、その人が本来持っている力や可能性を伸ばしていくための段階であり、厳しさを伴う。修行のための不幸が訪れたりもする。

が、人格を伸ばすための方便であり、文字通りその人がその人である証拠(アイデンティティ)を形成するため必要な段階だといえる。教育はこの段階にあると思う。叱ったり、力強く導いたりすることがこの愛にあたる。

次に第3段階の許す愛、相手も神様が産まれてよしとしてきた方だから、存在全てを受け入れていこうというもの。善悪や自分の好き嫌いなどで人を判断するなということ。全てを超越した許しの段階。

次に第4段階の存在の愛、歴史上の偉人などで時を超え、時空を越え人々に影響しつづける人。偉人などの生涯を思う時、勇気と希望が満ち溢れてくるように、今の世の中に存在しなくとも人々を照らすことができる存在。

最近、生徒や学生を叱れない教員が多く、よく相談を受け、この愛の発展段階説を話してきた。叱ったりの厳しさは「生かす愛」なのだと。

叱れないどころか、評価(最近はアンケートなどで、授業評価などがある。)が気になり、媚を売る教員も多かった。

教育業界は今、まさしく危機の最中、崩壊寸前だと思う。教育が廃れ、世の中が荒れている原因は、戦後の日本から宗教が消え、それに変わる道徳的な指針や思想が打ち出されなかったためではないだろうか。

日本人特有の「人様に対して恥ずかしいという感覚」も核家族化や都市化に伴い減少し、まさに、今日本人の多くの人々の「こころ」は宙ぶらりんなのではないだろうか?人間にはきちんとした思想が必要であると思う。

私は部活の指導や生徒指導で本気で生徒を叱ってきた。何度も何度も。その時の私には目の前の生徒たちはまさしく、自分の子供に見えていただけだった。その子達から嫌われたらどうしようとか、そんなことは一切考えなかった。

見えていたのは目の前の生徒達の今後の姿、よくないイメージだ。こんなことになるのなら、教えておけばよかった・・・。そんな風になる生徒を見たくない!!その一心で叱った。

私も涙、生徒も涙・・。「心から叱ってくれて先生ありがとう!」「親身になってくれてありがとう!」「きちんと駄目なことは駄目って言える大人になりたい。先生ありがとう」・・・ラブレターの嵐・・・。

そうです!ちゃんと今どきの子にも心から相手を思うことは伝わる。

叱ることは発展段階でいう「生かす愛」・・そう・・愛だから、きちんと伝わり、きちんと流れていく。

「愛」は、川の流れのように高いところから低いところに流れていくものだ。ちゃんとした大人がきちんと「愛」を伝えていくべきだと私は思っている。

相手から嫌われるかもしれないと思うということはNLP的に言えば、ベクトルが自分に向いている状態なのだ。相手から嫌われる自分を見ているということ、つまり連合。自分をみているだけだから、相手に伝わる訳がない。

叱れない先生方よ。生徒のことを思う時、想いは必ず届くと信じ、きちんと教育していきましょう!でも、叱ると怒るは違いますからご注意を!

叱ると怒るの違いに関しては、また、後ほど。

                              元ヤンより

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